隠遁文芸時評宣言

 文芸ジャーナリズムの最たるものと言える文芸時評は、私の普段の仕事とは掛け離れた領域に属する。二〇一四年にライターを辞め、評論家に転身してからというもの、取材のための外出をすることもなくなり、私は東京郊外の住み処に引きこもって隠者同然に暮らしている。日々の生活は規則正しい。毎日、午前八時までには起床する。栄養補給のためにプロテインシェイクを飲み下し、カフェオレを口にしながら午前八時半から執筆を始める。早ければ正午、遅くとも午後三時には書き仕事を切り上げ、最初の食事を摂る。たいていは蕎麦か、オムレツと野菜を主とした簡単なものだ。それからネットを観ながらメールの返信などの雑務を片付け、近所のスーパーに買い物に行き、夕食の準備をする。決まって午後六時に始める夕食は一日のなかで最も楽しみで、料理に凝ることが多い。先日は舞茸、エリンギ、ブナシメジ、エノキ、椎茸を贅沢に使った茸のホイル焼きと鶏の味噌焼きを作った。かつてはアルコール中毒同然だったが、今では飲みにいくこともほとんどない。それから明日の執筆のために資料を読み始め、映画や音楽を適当に鑑賞して、日付が変わる前には寝てしまう。最寄り駅より先の遠出は一週間に一度あればいいくらいだ。近所の人間は、私のことを引きこもりのニートだと思っているかもしれないが、知ったことではない。

 私は同時代の日本文学にあまり関心がない。献本には目を通す。新刊も買うことは買うが、たいていは海外小説か学術書だ。同時代の作家についての書評は余程のことがない限り必要を感じないので、ほとんど読まない。読むのは学者が自らの専門分野の学術書を評しているものくらいだ。
例外として 、新進気鋭の評者が多い「週刊読書人」や、優れた書評家たちの記事を集めたアーカイヴサイト「ALL REVIEWS」は重宝している。

 しかし、卑しくも読書家を自ら任じている人間なら、著者名、タイトル、目次、その他出版社が出している情報を見れば読むべきかどうかわかる。それらの情報によっていまいち内容が掴めなくとも、ネットで少し調べれば著者のこれまでの業績や主題、作風についての詳細もわかるから――海外のものならばその言語圏のデータや評判を調べてくればいい――書評家の助けを必要とすることはまずない。そして、読書をするうえで最も良いのは書評など一切気にせず、まずは現物にあたることだ。

 私にとって文芸時評は書評より更に縁遠い。時折失望の苦笑いとともに走り読みする程度だ。私が評価する数少ない同時代の小説家や批評家はおざなりに扱われている。

 文芸時評を手がける評論家は、あっちに気を使い、こっちに気を使い、何でも誉めてしまうために判断基準がどこに置かれているかわからないことが多い。そういった評論家たちは現代文学の「傾向と対策」を追うのに必死だが、受験勉強でもあるまいし、優等生ぶるのはみっともないし、何の面白みもない。彼らには自分がない。

 稀に取り上げる作品すべてに辛口の文芸時評もあるが、それをやるのは「批評の批評」しか出来ない連中で、作品をロクに読めもしないのに、他人を貶めれば自分が目立てるだろうと、卑しい出世主義者の精神で下らないパフォーマンスをやらかすから嫌気がさす。彼らには作品への敬意がなく、自分が崇めるドグマを振りかざし、ジャーゴンまみれの読むに耐えない文章を書く。

 私はそれより他のことで忙しい。私の仕事を少しでも目にした方はご存知だろうが、私の評論の対象はゴア・ヴィダルをはじめとした忘れられた英米作家の発掘であり、日本文学でも正典(カノン)とは見做されなかった批評家・吉田健一の再評価だった。今は古今東西の日記を論じる連載『日記百景』(フィルムアート社ウェブマガジン「かみのたね」にて掲載)を執筆中で、他にも去年丸一年かけて書いた二十七万字にも及ぶ原稿を編集者と弄くり回しており、大正時代に僅かな期間だけ活動した異端の小説家・山﨑俊夫の研究に手を伸ばしている。資料の購入だけで収入を圧迫するどころか、赤字だ。

 昨年、二〇一八年には文芸評論家を名乗る人間がふたりも馬鹿をやらかしたため、「文芸評論家」と名乗るのも恥ずかしかった。TwitterやFacebookのプロフィールから「文芸評論家」という文字列を削除したくらいだ(今は便宜上Twitterのみ戻している)。教員が業界と密接な繋がりがある文筆家であることによって、大学が文芸出版の出先機関になってしまう愚行と私は無縁でいたい。大学であれ、私塾であれ、ネットサロンであれ、そういった組織はお山の大将とその無能な手下を輩出するだけに過ぎない。ただでさえ、 書くこと・読むことを教えるのは難しい。慎重に慎重を期し、真摯な態度で臨む必要がある。 時の政権に阿るのも面倒臭いからしたくない。私は外出すら面倒なのに、時の総理大臣のヨイショ本を量産する書き手の忠誠心と滅私奉公ぶりには感嘆するばかりだ。物書きはただ単に本を読み、原稿を書いているだけでいい。

 読者にもずっと失望していた。付き合いで文芸関係のイベントに行けば、コネを作りたがっている作家志望者と批評家志望者が列をなし、質疑応答では自我が肥大した自分語りをする連中ばかりだった。したり顔で批評紛いの感想をSNSに書いているのもそういう類だ。

 しかし、共編著『吉田健一ふたたび』の出版記念イベントをこなしていて、私はそれまで見たこともない読者たちに出会った。彼らは出版記念イベントにこれまで来たこともない、と揃って口にしたし、ネット上でもほとんど何も発信しない。ただ自分ひとりで静かに本を楽しむ読書家たちの姿がそこにあった。吉田健一はとても良い読者を持っていたようだ。「現代にこんな読者がいたのか」と驚くと同時に、私はもう一度読者を信じようと思った。

 そこへweb文芸誌「crossover」編集長の山﨑修平氏から文芸時評の依頼があったというわけだ。一度は「同時代の文学にほとんど興味がないから」という理由で固辞したが、今年出版された新刊には数多くの傑作があった。リアルタイムで読んだ小説で初めて「この小説に賭けよう」と決意した、嶽本野ばらの長編小説『純潔』(新潮社)が七月二十九日に刊行されたことも大きい。優れたノンフィクションも刊行され、海外文学の翻訳も豊作だった。新進気鋭の研究者も現れた。崩壊寸前の文芸批評でもひとり気を吐く批評家がいる。加えて、「crossover」の編集長、山﨑氏の才能を私は高く評価している。彼の編集方針が悪いものだとも思えない。そう考えて、小心翼々とした優等生や浅ましい出世主義者が精一杯の建前という名のおめかしをして屯している「文芸時評」という虚飾にまみれた舞踏会に、 私は隠居先から珍しくも正装を身に纏い、 初めて這いずり出てきたという次第だ。

 断っておくが、この文芸時評では芥川賞の予想などは決して行わない。流行のフレームやキーワードも使わない。ここではそこから零れ落ちたものだけを論じる。この「隠遁文芸時評」を、本を楽しむことを知っている読書家に贈る。

同時代で最も心を動かされた小説――嶽本野ばら『純潔』(新潮社

 二一世紀が始まってまだ二〇年も経っていないが、嶽本野ばらの長編小説『純潔』は二一世紀の日本文学を代表する古典になるだろう。嶽本四年ぶりの長編小説『純潔』は元々「純愛」というタイトルの下、『新潮』二〇一五年二月号に一挙掲載された。政治思想とオタクカルチャーへの言及が交錯する、この異形の小説に圧倒された私は『新潮』を何冊も買い込み、友人たちに配ったのをよく憶えている。ところが、二〇一六年の単行本発売を目前にして不幸な事件が起き、出版は中止となり、嶽本の執筆活動も控え目なものになった。私はなんとか「純愛」を論じようと勝手に原稿を書き、ふたつのWeb媒体とひとつの紙媒体と掛け合った。しかし、そのうちのひとつはスキャンダラスな記事に書き換えろ、と強制してきたため、媒体自体と縁を切った。他のふたつは単行本化されていないから、と曖昧に断って来るか、言葉を濁すだけに留まった。『純潔』が四年の時を経て、ハードカバーにして五〇八ページの大作に加筆され、出版されることとなったのは僥倖としか言いようがない。

『純潔』は文学部に所属する童貞の平凡な大学一年生・柊木殉一郎が、強引に勧誘されたアニメ研究会のオタクたちに翻弄されつつ、過激な政治活動にその身を捧げる三年生の北据光雪に恋することで革命に巻き込まれていく物語だ。光雪と連帯する新右翼と新左翼の活動家は、イスラム武装組織の力を借りて福島第一原発をジャックし、福島県を分離独立させ、天皇の位を分譲させて天皇制共産主義国家を樹立しようともくろむ。

『純潔』は「純愛」として発表された当初、「寓話」として受け止められた。しかし、「純愛」の発表の四ヶ月後、学生の政治活動組織SEALDsが結成され、二〇一六年には解散。今年二〇一九年、天皇は譲位して上皇となった。「純愛」は正に予言的な小説だった。

 今、現実が追いついたことで、「純愛」を加筆・改題した『純潔』は寓話ではなく、切迫したリアリティを帯びた小説としてふたたびその姿を現した。「純愛」の畳み掛けるような進行の早いストーリーテリングは、『純潔』では壮大なスケールにふさわしく悠然とした展開に取って代わり、膨大な細部が加筆されたことによって、よりいっそう深みを増した。多くの変更が施されているが、最も重要なのは結末の差異だ。「純愛」の結末は悲劇的だったが、いささかヒロイックでもあり、革命の希望は残されていた。

 しかし、『純潔』の結末に救いはない。もし『純潔』に希望が存在するとしたら、思想に生きた登場人物たちの気高さのみに託されている。変更された結末に現れる「大柄な」「兵士達」には明らかにアメリカの影が見える。嶽本野ばらはこの四年間、左派の挫折や、新自由主義化と対米従属が進行する現実を曇りのない目で認識して『純潔』を改稿したことがよくわかる。

『純潔』ではそれぞれ思想の異なる登場人物たちが議論を重ねていくなかでストーリーが進行していく。シャルル・フーリエ、ショーペンハウアー、マルクス、ルソー、J・S・ミル、河上肇の『貧乏物語』、足尾鉱毒事件で明治天皇に直訴した田中正造に至るまで、政治思想に関する膨大な言及がある。

 こうした思想とオタクカルチャーへの言及が交錯する議論で遡上にあがるのは、インターネット、プラグマティズム、反原発、デフレーション、ベーシック・インカム、グローバリズム、二次元への表現規制問題、共産主義による資本主義の補完、そして天皇制だ。

 日本の政治を語る時、天皇制は避けて通れない。明治に立憲君主制が成立してから今に至るまで、誠実な小説家たちはしばしば天皇小説を手がけてきたが、戦後の天皇小説は極めてアイロニカルなものばかりだったのに対し、『純潔』は天皇制というシステムに真っ向から挑んでいる。大江健三郎の『セブンティーン』と『政治少年死す』に描かれた右翼少年のような人間は、現在ではネットのそこら中に蔓延っており、もはやこのふたつの作品が虚構としての有効性を持つか心許ない。しかし、『純潔』は大江を更にアップデートし、現代の狂気に抗すべく、正気で書かれた『セブンティーン』『政治少年死す』と言える。

 思想を扱った観念小説では、登場人物たちが作者のイデオロギーを代弁する生気を失った操り人形と化す危険性が高い。しかし、『純潔』はそのハードルを軽々と飛び越えている。北据光雪たち政治活動家も、アニメ研究会のオタクたちもそれぞれまったく違ったバックボーンによる声を持つ。自立した世界を持った登場人物たちの複数の声によって織り成される長大な議論で進行する『純潔』は、作中でも言及のあるドストエフスキーの作品にミハイル・バフチンが見出した「ポリフォニー小説」とも言えるだろう。

 それら複数の声をまとめあげ、『純潔』に統一感を与えているのは語り手の柊木殉一郎の平易な一人称だ。嶽本野ばらの多くの小説と同様、「僕」=柊木殉一郎が「君」=北据光雪に語りかける形式を『純潔』は用いている。だが、これまでアウトサイダーを語り手に据えることがほとんどだった嶽本野ばらの小説と『純潔』には決定的な差異がある。「ノンポリの平凡な大学生」である殉一郎の語りはナイーヴと言えるほどニュートラルだ。殉一郎の中立的な声によって『純潔』は嶽本野ばらの小説の中で、最も開かれた作品になっている。

 そして、何よりも『純潔』を傑作たらしめているのは殉一郎と光雪の恋だ。古代ギリシャ語の「哲学(フィロソフィア)」という言葉は「愛する(フィレニー)」と「知(ソフィア)」が組み合わさったものだ。「知を愛する学」、それが哲学だ。殉一郎は思想にその身を捧げる光雪の思想=「知」に魅了されたからこそ彼女を「愛」し、革命に身を投じる。その意味からも『純潔』は優れた哲学小説であるとも言えるだろう。

『純潔』を震災後文学に分類することも可能だが、この傑作をそんな狭隘なジャンルに押し込めておくのは馬鹿げている。震災後文学は何ら優れた作品を生み出さなかった。それは他の芸術もほとんど同様で、映画『シン・ゴジラ』が留保付きながら唯一評価に値する作品だった。ジャーナリズムやインターネットが未曾有の発展を遂げた現代において、小説は発生したばかりの事柄について即時に反応するのに最も不向きな形式だ。リアルタイムで起こる事象はジャーナリズムに任せておけばいい。現実をそのままなぞったり、脊髄反射で作品に取り込んだりするのではなく、長く深く思索を巡らし、虚構として抽象化された小説だけが傑作たりうる。東日本大震災のような日本の歴史に残る出来事ならなおさらだ。そもそも嶽本野ばらは『純潔』を作家デビューから半生をかけて構想していたという。震災から四年後の「純愛」を経て、『純潔』の完成までには足掛け八年の歳月が必要とされた。それだけの長い時をかけたからこそ、『純潔』は目覚ましい虚構として結晶化したのだ。

 私はゼロ年代ではリアルタイムの小説や批評には背を向けて、古典や英米文学のマイナーな小説を渉猟していたが、嶽本野ばらは熱心に読んでいた数少ない同時代の作家だった。少女文化を称揚し、自分自身もロリータ・ファッションを纏う嶽本野ばらは行動する思想家だったと言っていい。ゼロ年代の批評家たちはそのほとんどがサブカルチャーやオタクカルチャーを自らの論考のダシにしたメタゲームにうつつを抜かしていたが、嶽本野ばらは自らの思想を生きた。オタクカルチャーを扱った『純潔』にもその姿勢は強く打ち出されている。「乙女のカリスマ」と呼ばれた嶽本野ばらの思想は、間違いなく時代のライフスタイルを変えた。嶽本野ばらの「乙女」という概念は女性だけに限定されるものではなく、精神の有り様を指すことは言うまでもない。それは生の在り方に直結するものだった。

『純潔』に至って、嶽本野ばらの思想は更に深みを増し、円熟した小説家としての技巧も相まって、この小説は彼自身の新たな代表作となった。

(なお、『純潔』に関しては『新潮』九月号にも「嶽本野ばらは気高き理想という旗を掲げる――『純潔』論」という評論も書き、九月十三日発売の「週刊読書人」の巻頭記事「嶽本野ばら ロングインタビュー  恋と革命の美学」ではインタビュアーを務めた。ふたつの原稿とは一部重複する内容もあることをお断りしておく)

ゲイ・ムーヴメントを牽引した作家の帰還――伏見憲明『新宿二丁目』(新潮新書)

 二〇一九年に帰ってきたのは嶽本野ばらだけではない。一九九〇年代から二〇〇〇年代にかけてゲイ・ムーヴメントを牽引した評論家・小説家の伏見憲明も七年の沈黙を破り、『新宿二丁目』というノンフィクションの傑作を引っさげて帰還した。

『新宿二丁目』は第一章から江戸川乱歩と萩原朔太郎が通っていた「ユーカリ」という文壇バーがゲイバーでもあったという大ネタから始まっている。江戸川乱歩の同性愛は今では広く知られているが、萩原朔太郎まで同性愛傾向があったとは不勉強で知らなかった。引用されている朔太郎から乱歩に宛てた書簡では自分の同性愛を秘密にして欲しいという要請とともに「稲垣君」(稲垣足穂のこと)を紹介する旨が綴られている。大正から昭和初期にかけては江戸川乱歩、日本の同性愛研究に大きな足跡を残した『本朝男色考』の著者・岩田準一、稲垣足穂、山崎俊夫、菊池寛ら同性愛のアンダーグラウンドシーンと密接に繋がっていた書き手が多かったが、萩原朔太郎もその系譜に属していたようだ。そう考えてみると朔太郎の妖しく退廃的な詩には、また別の視点から光をあてることが可能になってくる。

 第二章では三島由紀夫が『禁色』でルドンのモデルとした伝説のゲイバー・ブランスウィックのオーナー、ケリー=野口清一(「野口清」とも。ブランスウィックで店員として働いていた野坂昭如は『赫奕たる逆光』で「ケニー」と表記。三島は『禁色』で「ルディー」という名前で登場させている)が、本郷に日本初のジャズ喫茶を開店させた人物であることが明かされる。野口は銀座で開いたブランスウィックを当代随一のゲイバーに押し上げた後は、吉祥寺に拠点を移し、現在も営業中のジャズバー、ファンキーを中心に一大文化圏を築き上げた。野口の子孫たちは今も吉祥寺の発展に尽力し続けている。これには驚きを禁じ得なかった。私は子供の頃から家族での外食や買い物の際は、吉祥寺に赴くことが多かったのだが、武蔵野の田舎の只中に、何故飛び地のように発展した都市が出来たのか不思議に思っていた。吉祥寺は中央線文化圏の代表である新宿のような雑然とした街ではない。立川や福生のような米軍基地経由のアメリカの影響もあまり感じられない。強いて言えば銀座の小洒落た雰囲気に近いのだが、『新宿二丁目』を読んでやっとその謎が解けた。山の手の本郷、都会の銀座という洗練された地で先鋭的なビジネスを成功させてきた野口の才能と独創性があってこそ、吉祥寺という文化圏が誕生したわけだ。

 第三章からは内藤新宿時代、赤線時代、一時期の停滞を経てゲイタウンとしての新宿二丁目が勃興し、六〇年代のカウンターカルチャーとの共振を経て現代に至るまでの歴史が描かれる。ゲイタウンとしての二丁目が成立するきっかけとなったバー・イプセンのオーナーで、著者と親交があった松浦貞夫のどこまでもダンディな肖像は忘れ難い。遊郭時代から新宿を見てきた山田歌子(存命)の佇まいはとてもチャーミングだ。現在、二丁目で不動産業を営む一九八〇年生まれの二村孝光(既婚で子持ちの異性愛者)も登場する。登場する人物たちを描く伏見の筆致は温かく、読んでいるこちらまで魅了されてしまう。『新宿二丁目』では伏見の緻密なフィールドワークと資料精査に基づいた実証的な評論家としての側面と、小説家としての傑出した文才が見事に融合している。

 現在の新宿二丁目はゲイだけの街ではない。既にゲイは出会いの場を二丁目からインターネットに移している。今の二丁目にはゲイバーのみならず、レズビアンバーや女装バーも存在し、バーの客も異性愛者の割合が大きくなっている。台湾人を中心とした外国人が戦後の新宿を支えたのは近年知られるようになったが、二丁目も同性愛者だけではなく、地元の住民である多くの異性愛者や、三島由紀夫、野坂昭如、美輪明宏、澁澤龍彥、寺山修司、唐十郎、宇野亜喜良、そしてロラン・バルト(本書には『表徴の帝国』に掲げられた地図の場所を特定し、二丁目版として再構成した地図も収録されている)やジュディ・ガーランドのような文化人たちが「奇跡的にシンクロ」して作り上げられた「解放区」だということを伏見は明らかにする。本書を読んだ方は新宿二丁目を実際に訪れて欲しい。歌舞伎町のように治安が悪くもなければ、新宿三丁目のように騒がしくもなく、驚くほど静かで安全だが、 セクシャリティもジェンダーも 国籍も極めて多彩な二丁目にはまだまだ新しい発見がある。

近代文学を洗い直す抱腹絶倒の書――『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』(柏書房)

 日本文学史の研究書でも収穫があった。二年前の二〇一七年、何の気のなしにTwitterを眺めていたところ、「舞姫の主人公をボコボコにする最高の小説が明治41年に書かれていたので1万文字くらいかけて紹介する」という妙なタイトルのBlog記事が流れてきた。明治娯楽読物の『蛮カラ奇旅行』という聞いたこともない小説の紹介で、バンカラ男が外国人をボコボコにしながら世界旅行し、アフリカ人と帰国して森鴎外の『舞姫』の主人公をモデルにしたハイカラ男をぶん殴るストーリーだという。ハイカラ男(今でいうなら意識高い系)なぞ殴ってしまえ、殺してしまえ、という主人公の行動は実に爽快だった。続編でバンカラ男は世界統一を目指す、という。あまりに衝撃的な内容と抱腹絶倒の語り口に魅了され、以後、私はこのBlogを頻繁に閲覧するようになった。

 Blogの主は山下泰平と言い、国会図書館のデジタル・アーカイヴを活用して、忘れ去られた明治娯楽読物を片っ端から読んでいる人物のようだった。そのBlogに大幅な加筆を加えて今年柏書房から出版されたのが、『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』だ。『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』(タイトルが長い)は明治の庶民が読んでいた娯楽物語を紹介していくことで、日本近代文学の影に隠れた明治の娯楽読み物を発掘し、文学史を洗い直している。 日本近代文学のほとんどは主人公がウジウジ悩んでばかりで、今読むと退屈なものも多い。 現在の純文学でも 状況はそれほど変わってはいない。著者の山下泰平はこれを「異常」、「幼稚で下等」とまで言い切る。

 明治娯楽物語は一応文芸評論家を名乗っている私でも知らないものばかりで、荒唐無稽な小説ばかりだが、大いに笑える。これから本の中で紹介されている作品のなかで気になったものをいくつか挙げていこう。

『東海道中久栗毛』の弥次喜多が月に行こうとして「無闇矢鱈世界」というわけのわからない星に着いてしまう『宗教世界膝栗毛』。馬丁の主人公が日露戦争で大活躍するタイトルからしてヤバい『露西亜がこわいか』。スパイ志望者だが、スパイに必要とされる数学ができず、自殺を図るキャラクターが登場する『南京松』。真田幸村の息子・真田大助が口八丁で徳川幕府と渡り合うという、TVドラマ『真田丸』+『リーガル・ハイ』とでも言えそうな『西国轡物語』。『真田丸』と『リーガル・ハイ』は両方とも堺雅人主演なので、『西国轡物語』も堺雅人主演でドラマ化して欲しいくらいだ。もちろん、「「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説」『蛮カラ奇旅行』も紹介されている。

 このように荒唐無稽だった明治娯楽物語だが、その影響は中里介山の『大菩薩峠』や吉川英治や山田風太郎を経て、今の映画、漫画、アニメ、そしてライトノベルまで脈々と受け継がれている。明治娯楽物語を発掘することは、日本近代文学を新しい視点で見ることに繋がっている。

 これだけ忘れられた作品があるということは、これからも近代文学の洗い直しと正史への異議申し立ては続いていくだろう。そういった研究が行われることで、文学史は変容し、見直しが進んでいく。正典(カノン)以外で埋もれている作品はいくらでもある。実際、大正時代からの吉屋信子を開祖とする少女小説の再評価は、嶽本野ばらによってゼロ年代から再開され、今ではアカデミックな研究が行われている。久しぶりに意義がある日本文学の研究書が登場したと言えるだろう。それはともかく、山下泰平の語り口はユーモアたっぷりで笑えるので、文学史に興味がない方にも一読をお薦めする。

傑作揃いだった翻訳文学、アメリカ文学研究の新星、現代日本で唯一正気の文芸批評家

 海外文学の翻訳ではメアリー・マッカーシー(若島正訳)『私のカトリック少女時代』(河出書房新社)が遂に刊行された。マッカーシーは日本ではそれほど著名とは言えないが、戦後のアメリカを代表する知識人のひとりだ。それももはや現代では存在し得ない、該博な古典教養を持つ王道の知識人であり、作家だった。同時代の書き手を滅多に誉めなかった「アメリカで最も論争的な作家」ゴア・ヴィダルは、マッカーシーを「もうひとりの才人」(では、「あとひとりの才人は?」というと自己愛の強いゴア・ヴィダル自身なのだが)と評し、そのベストとしてマッカーシーの自伝である本書を絶賛していた。
 両親を失って孤児となったマッカーシーは、家庭内暴力を振るう叔父叔母の元で辛い幼年時代を送っていたところを祖父母に助け出された。それから神学校で教育を受け、寄宿生活を送る。 『私のカトリック少女時代』 ではマッカーシーが神学校で信仰を失い、 男の子と頻繁にデートし、煙草を吸う反抗的な少女になるまでが描かれる。聖職者の教員に対する観察は辛辣極まりないが、ヴォルテール、バイロン、シャトーブリアンという名が踊り、「私はカエサルに恋してしまったのだ!」(カエサルは『ガリア戦記』を書いた文人でもあったのは言うまでもない)という一節もあることから、マッカーシーの教養の基盤をなすヨーロッパの古典文学はラテン語も教え込まれた神学校で育まれたことがわかる。
 マッカーシーを読む喜びは情緒的なものではなく、知的なものだ。 『私のカトリック少女時代』 は事実を重んじるマッカーシーが既に発表していた回想の断片に冷静にコメントを付していく形で進行する。 その筆致は硬質でドライだ。 ここまですべてを分析し尽くそうとする知的なリアリストは、アメリカ文学でも珍しい。日本文学では尚更だ。マッカーシーを読むということは現代の日本人にも得難い経験だと言えるだろう。
 近年日本でも注目されている現代タイ文学のウティット・ヘーマムーン(福冨渉訳)『プラータナー: 憑依のポートレート』(河出書房新社)も傑作だった。 『プラータナー: 憑依のポートレート』では 同性と異性の双方を対象にして入り乱れる性的な欲望と政治動乱が、奔流のような文体で綴られている 。 タイは 貧富の差が歴然として存在し、未だに階級制度も根強い。 と同時に 、 作中にドイツ作家のヘルマン・ヘッセ、イギリスのバンド・スウェード、 日本のツタヤ と多国籍な固有名詞の混在することからわかるとおり、 東西の文明が 交錯する地であり、 著しい近代化と インターネットの発達で混沌を極めている。ヘーマムーンの作風は私にジャン・ジュネを想起させた。

 アメリカ文学研究にも新星が現れた。「現代アメリカ文学ポップコーン大盛」(書肆侃侃房)の著者のひとり、青木耕平は類まれなる文才と批評的視座を有している。青木の文章に触れて「ようやくアメリカ文学を仰ぎ見るのではなく、対等のものとして咀嚼し、ユーモアとウィットに満ちた文体で、明晰に語ることができる研究者が現れたか」と感慨もひとしおだった。

 特に「第14回 ショーン・ペンよ、ペンを置け──“史上最悪”のデビュー作『何でも屋のボブ・ハニー』について」は一見親父ギャグのようなタイトルではあるが、俳優ショーン・ペンの小説の欠点について真摯に、しかしユーモラスな筆致で論じた好エッセイで、「第20回 スティル・ナンバー・ワン・アメリカン・サイコ──ブレット・イーストン・エリス、9年ぶりの帰還」「第27回 出口は未だどこにもない──ブレット・イーストン・エリス vs 世界」は、ジェネレーションXを代表する小説家ブレット・イーストン・エリスを論じることで現代アメリカの問題を抉り出し、それは我々日本人が抱えている問題でもある、と示唆する稀有な論考だ。
 青木は現代アメリカ文学の問題児であるブレット・イーストン・エリスの最新のノンフィクション『ホワイト』を引きつつ、エリスを巡るスキャンダルを 批判的に分析し、 その政治に関する無神経ぶりを考察している。
『アメリカン・サイコ』はヤッピー=富裕な白人層がいかに階級的な差別に囚われており、狂ったように消費に取り憑かれているかを諷刺した小説だが、今ではオルタナ右翼がその映画版を熱心に賞賛している。この事態は単なる誤読ではなく、エリス自身が内包している問題によるものだ。 『アメリカン・サイコ』 の主人公であるドナルド・トランプを崇拝する快楽殺人者パトリック・ベイトマン とエリスは完全にイコールではない。エリスはトランプに批判的であり、『アメリカン・サイコ』 はベイトマンのような人間をコケにした小説だ。しかし、エリス自身ゲイであるにもかかわらずホモフォビックであり、女性嫌悪も根深い。政治において反動になってしまうのはエリスの芸術至上主義に原因があり、その芸術への愛は彼の優れた作家としての資質とも不可分だ、ということを青木は指摘している。
 いずれにせよ『アメリカン・サイコ』 の最後の文章が示すように「ここは出口ではない(This Is Not An Exit.)」。 今のエリスは限界にぶち当たっている。 この文芸時評を書くにあたって、青木の『アメリカン・サイコ』論 「私は一パーセントだ : 『アメリカン・サイコ』、ウォール街、X世代、世界金融危機」 も参照したが、 『アメリカン・サイコ』論 では更に徹底した批判が展開されている。青木の言うように、エリスだけではなく、日本の私たちも「正気に戻」る必要がある。

 そして、未だに不毛な逆張りとポストモダンの残滓が漂う日本の文芸批評で、唯一正気と言える書き手、浜崎洋介「「デフレ」とは何か――それが「心」に与える影響について」(『表現者Criterion』メールマガジン)はデフレによる不況が単に経済的な問題ではなく、「心の問題」であり、「若い人たち」から「試行錯誤の経験」の機会を奪ってしまい、日本という国を蝕んでいることを鋭く指摘している。浜崎洋介ほど明晰な言葉で真っ当な正論を語れる批評家は今の日本には見当たらない。

 それではこれにて隠遁文芸時評を終えよう。柄にもないことをしたものだ。私はまた隠居生活に戻る。