Month: September 2019

隠遁文芸時評/川本直

隠遁文芸時評宣言  文芸ジャーナリズムの最たるものと言える文芸時評は、私の普段の仕事とは掛け離れた領域に属する。二〇一四年にライターを辞め、評論家に転身してからというもの、取材のための外出をすることもなくなり、私は東京郊外の住み処に引きこもって隠者同然に暮らしている。日々の生活は規則正しい。毎日、午前八時までには起床する。栄養補給のためにプロテインシェイクを飲み下し、カフェオレを口にしながら午前八時半から執筆を始める。早ければ正午、遅くとも午後三時には書き仕事を切り上げ、最初の食事を摂る。たいていは蕎麦か、オムレツと野菜を主とした簡単なものだ。それからネットを観ながらメールの返信などの雑務を片付け、近所のスーパーに買い物に行き、夕食の準備をする。決まって午後六時に始める夕食は一日のなかで最も楽しみで、料理に凝ることが多い。先日は舞茸、エリンギ、ブナシメジ、エノキ、椎茸を贅沢に使った茸のホイル焼きと鶏の味噌焼きを作った。かつてはアルコール中毒同然だったが、今では飲みにいくこともほとんどない。それから明日の執筆のために資料を読み始め、映画や音楽を適当に鑑賞して、日付が変わる前には寝てしまう。最寄り駅より先の遠出は一週間に一度あればいいくらいだ。近所の人間は、私のことを引きこもりのニートだと思っているかもしれないが、知ったことではない。  私は同時代の日本文学にあまり関心がない。献本には目を通す。新刊も買うことは買うが、たいていは海外小説か学術書だ。同時代の作家についての書評は余程のことがない限り必要を感じないので、ほとんど読まない。読むのは学者が自らの専門分野の学術書を評しているものくらいだ。 例外として 、新進気鋭の評者が多い「週刊読書人」や、優れた書評家たちの記事を集めたアーカイヴサイト「ALL REVIEWS」は重宝している。  しかし、卑しくも読書家を自ら任じている人間なら、著者名、タイトル、目次、その他出版社が出している情報を見れば読むべきかどうかわかる。それらの情報によっていまいち内容が掴めなくとも、ネットで少し調べれば著者のこれまでの業績や主題、作風についての詳細もわかるから――海外のものならばその言語圏のデータや評判を調べてくればいい――書評家の助けを必要とすることはまずない。そして、読書をするうえで最も良いのは書評など一切気にせず、まずは現物にあたることだ。  私にとって文芸時評は書評より更に縁遠い。時折失望の苦笑いとともに走り読みする程度だ。私が評価する数少ない同時代の小説家や批評家はおざなりに扱われている。  文芸時評を手がける評論家は、あっちに気を使い、こっちに気を使い、何でも誉めてしまうために判断基準がどこに置かれているかわからないことが多い。そういった評論家たちは現代文学の「傾向と対策」を追うのに必死だが、受験勉強でもあるまいし、優等生ぶるのはみっともないし、何の面白みもない。彼らには自分がない。  稀に取り上げる作品すべてに辛口の文芸時評もあるが、それをやるのは「批評の批評」しか出来ない連中で、作品をロクに読めもしないのに、他人を貶めれば自分が目立てるだろうと、卑しい出世主義者の精神で下らないパフォーマンスをやらかすから嫌気がさす。彼らには作品への敬意がなく、自分が崇めるドグマを振りかざし、ジャーゴンまみれの読むに耐えない文章を書く。  私はそれより他のことで忙しい。私の仕事を少しでも目にした方はご存知だろうが、私の評論の対象はゴア・ヴィダルをはじめとした忘れられた英米作家の発掘であり、日本文学でも正典(カノン)とは見做されなかった批評家・吉田健一の再評価だった。今は古今東西の日記を論じる連載『日記百景』(フィルムアート社ウェブマガジン「かみのたね」にて掲載)を執筆中で、他にも去年丸一年かけて書いた二十七万字にも及ぶ原稿を編集者と弄くり回しており、大正時代に僅かな期間だけ活動した異端の小説家・山﨑俊夫の研究に手を伸ばしている。資料の購入だけで収入を圧迫するどころか、赤字だ。  昨年、二〇一八年には文芸評論家を名乗る人間がふたりも馬鹿をやらかしたため、「文芸評論家」と名乗るのも恥ずかしかった。TwitterやFacebookのプロフィールから「文芸評論家」という文字列を削除したくらいだ(今は便宜上Twitterのみ戻している)。教員が業界と密接な繋がりがある文筆家であることによって、大学が文芸出版の出先機関になってしまう愚行と私は無縁でいたい。大学であれ、私塾であれ、ネットサロンであれ、そういった組織はお山の大将とその無能な手下を輩出するだけに過ぎない。ただでさえ、 書くこと・読むことを教えるのは難しい。慎重に慎重を期し、真摯な態度で臨む必要がある。 時の政権に阿るのも面倒臭いからしたくない。私は外出すら面倒なのに、時の総理大臣のヨイショ本を量産する書き手の忠誠心と滅私奉公ぶりには感嘆するばかりだ。物書きはただ単に本を読み、原稿を書いているだけでいい。  読者にもずっと失望していた。付き合いで文芸関係のイベントに行けば、コネを作りたがっている作家志望者と批評家志望者が列をなし、質疑応答では自我が肥大した自分語りをする連中ばかりだった。したり顔で批評紛いの感想をSNSに書いているのもそういう類だ。  しかし、共編著『吉田健一ふたたび』の出版記念イベントをこなしていて、私はそれまで見たこともない読者たちに出会った。彼らは出版記念イベントにこれまで来たこともない、と揃って口にしたし、ネット上でもほとんど何も発信しない。ただ自分ひとりで静かに本を楽しむ読書家たちの姿がそこにあった。吉田健一はとても良い読者を持っていたようだ。「現代にこんな読者がいたのか」と驚くと同時に、私はもう一度読者を信じようと思った。  そこへweb文芸誌「crossover」編集長の山﨑修平氏から文芸時評の依頼があったというわけだ。一度は「同時代の文学にほとんど興味がないから」という理由で固辞したが、今年出版された新刊には数多くの傑作があった。リアルタイムで読んだ小説で初めて「この小説に賭けよう」と決意した、嶽本野ばらの長編小説『純潔』(新潮社)が七月二十九日に刊行されたことも大きい。優れたノンフィクションも刊行され、海外文学の翻訳も豊作だった。新進気鋭の研究者も現れた。崩壊寸前の文芸批評でもひとり気を吐く批評家がいる。加えて、「crossover」の編集長、山﨑氏の才能を私は高く評価している。彼の編集方針が悪いものだとも思えない。そう考えて、小心翼々とした優等生や浅ましい出世主義者が精一杯の建前という名のおめかしをして屯している「文芸時評」という虚飾にまみれた舞踏会に、 私は隠居先から珍しくも正装を身に纏い、 初めて這いずり出てきたという次第だ。  断っておくが、この文芸時評では芥川賞の予想などは決して行わない。流行のフレームやキーワードも使わない。ここではそこから零れ落ちたものだけを論じる。この「隠遁文芸時評」を、本を楽しむことを知っている読書家に贈る。 同時代で最も心を動かされた小説――嶽本野ばら『純潔』(新潮社)  二一世紀が始まってまだ二〇年も経っていないが、嶽本野ばらの長編小説『純潔』は二一世紀の日本文学を代表する古典になるだろう。嶽本四年ぶりの長編小説『純潔』は元々「純愛」というタイトルの下、『新潮』二〇一五年二月号に一挙掲載された。政治思想とオタクカルチャーへの言及が交錯する、この異形の小説に圧倒された私は『新潮』を何冊も買い込み、友人たちに配ったのをよく憶えている。ところが、二〇一六年の単行本発売を目前にして不幸な事件が起き、出版は中止となり、嶽本の執筆活動も控え目なものになった。私はなんとか「純愛」を論じようと勝手に原稿を書き、ふたつのWeb媒体とひとつの紙媒体と掛け合った。しかし、そのうちのひとつはスキャンダラスな記事に書き換えろ、と強制してきたため、媒体自体と縁を切った。他のふたつは単行本化されていないから、と曖昧に断って来るか、言葉を濁すだけに留まった。『純潔』が四年の時を経て、ハードカバーにして五〇八ページの大作に加筆され、出版されることとなったのは僥倖としか言いようがない。 『純潔』は文学部に所属する童貞の平凡な大学一年生・柊木殉一郎が、強引に勧誘されたアニメ研究会のオタクたちに翻弄されつつ、過激な政治活動にその身を捧げる三年生の北据光雪に恋することで革命に巻き込まれていく物語だ。光雪と連帯する新右翼と新左翼の活動家は、イスラム武装組織の力を借りて福島第一原発をジャックし、福島県を分離独立させ、天皇の位を分譲させて天皇制共産主義国家を樹立しようともくろむ。 『純潔』は「純愛」として発表された当初、「寓話」として受け止められた。しかし、「純愛」の発表の四ヶ月後、学生の政治活動組織SEALDsが結成され、二〇一六年には解散。今年二〇一九年、天皇は譲位して上皇となった。「純愛」は正に予言的な小説だった。  今、現実が追いついたことで、「純愛」を加筆・改題した『純潔』は寓話ではなく、切迫したリアリティを帯びた小説としてふたたびその姿を現した。「純愛」の畳み掛けるような進行の早いストーリーテリングは、『純潔』では壮大なスケールにふさわしく悠然とした展開に取って代わり、膨大な細部が加筆されたことによって、よりいっそう深みを増した。多くの変更が施されているが、最も重要なのは結末の差異だ。「純愛」の結末は悲劇的だったが、いささかヒロイックでもあり、革命の希望は残されていた。  しかし、『純潔』の結末に救いはない。もし『純潔』に希望が存在するとしたら、思想に生きた登場人物たちの気高さのみに託されている。変更された結末に現れる「大柄な」「兵士達」には明らかにアメリカの影が見える。嶽本野ばらはこの四年間、左派の挫折や、新自由主義化と対米従属が進行する現実を曇りのない目で認識して『純潔』を改稿したことがよくわかる。 『純潔』ではそれぞれ思想の異なる登場人物たちが議論を重ねていくなかでストーリーが進行していく。シャルル・フーリエ、ショーペンハウアー、マルクス、ルソー、J・S・ミル、河上肇の『貧乏物語』、足尾鉱毒事件で明治天皇に直訴した田中正造に至るまで、政治思想に関する膨大な言及がある。  こうした思想とオタクカルチャーへの言及が交錯する議論で遡上にあがるのは、インターネット、プラグマティズム、反原発、デフレーション、ベーシック・インカム、グローバリズム、二次元への表現規制問題、共産主義による資本主義の補完、そして天皇制だ。…

現代短歌のキーワード「歌評」/安田直彦

本稿は、短歌評論を書くひとのために「歌評」についての重要文献を提示することを目的とします。 しかし、数多ある文献のなかの、いったいどれが「重要文献」なのでしょうか。 このような問いにはただちにいくつかの反論が想定できます。古くは藤原定家『定家十体』から、近年では穂村弘『短歌の友人』まで、古典と呼びうる歌論はいくつもあるではないか。さらに最近まで考慮しても、総合誌などで話題になったトピックはあるのだからそれを紹介すればいい。そもそもなにが重要かを調査するのが執筆者のおまえの役目だろう……。 そうなのです。 その「なにが重要か」の判断こそが、現在最も困難であり、それゆえ歌評について考える際に避けて通れない最重要ポイントである。ゆえに紹介する文献も、資料そのものの重要性の判断にまつわるものとする。 これが私の本稿における結論です。 詳しく述べます。 現在の歌壇においてアーカイブとアクセシビリティが無視できない問題であることは直近に発表された『短歌』誌上の睦月都の時評においても指摘されています。 現状の短歌や評論、コミュニティへのアクセシビリティの低さは、新規参入を阻害し、既存読者・評者へのハードルも上げている。「読む」が難しいために「書く」ができず、結果として書き手の層がどんどん薄くなっているのが現状だ。 睦月都(『短歌』2019年7月号 角川文化振興財団 kindle版p.190) 私は上記に全面的に賛成します。ただし、睦月の文章について私はひとつ論点を付け加えたいと思います。この時評ではアーカイブ(保存記録)とアクセシビリティ(情報へのアクセスしやすさ)が問題視されていますが、論文を集めたことがある方ならばもうひとつ気になることがあるかと思います。インパクトファクター(被引用数)です。 要は情報の質です。 アーカイブとアクセシビリティは情報の量に関わる問題です。言いかえれば、現に保存されている情報の量と手にできる情報の量です。しかし、それと同等に重要なことがあります。手にした情報が質的に信頼できるか、ということです。 はじめに提示した反論に答えるならばこうです。古典と呼ばれるものから、現在進行形で書かれているものまで、歌論は量的には十分にあるでしょう。しかし、それらの質的な信頼性を判断できるかと言えばまったく別です。たとえば子規の「歌よみに与ふる書」にせよ、茂吉の「短歌における写生の説」にせよ、現在の視点から説得的な歌論かと言えばそうではありません。評価の定まっていない現在の歌論においては況やです。今必要なのは歌論を質的に判断する能力なのです。 前置きが非常に長くなりました。本稿では上記の考えに基づき、歌論の質を判断する能力に資する文献を「歌評」のキーワードにおける重要文献とし、紹介します。 先に述べますが、いわゆる歌書は一冊も挙げていません。 ①伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』 本書の第4章「『価値観の壁』をどう乗り越えるか──価値主張のクリティカルシンキング」は短歌問わず芸術について価値判断を行う際に私がまずおすすめしたい文章です。 価値主張のクリティカルシンキングに必要だとして著者が挙げる4つの視点、  (1)基本的な言葉の意味を明確にする。  (2)事実関係を確認する。  (3)同じ理由をいろいろな場面にあてはめる。  (4)出発点として利用できる一致点を見つける。 これらを守るだけで歌会での議論の充実度は格段に上がるのではないかと思います。 歌会で定義のあいまいな批評用語が飛び交っていて、なんの話かわからなくなったことがある方はぜひご一読ください。 ②佐々木健一『美学辞典』 「価値」「美的判断」「解釈」「批評」など歌評を行う上で必須の概念を含め、美学全般について知識を得ることができる良著です。各項目につき定義とその概念についての美学史的な概要、そして著者の考える論点が示されており、ふだん辞典に親しまない方にも読みやすいのではないかと思います。「批評」の項目の以下の記述は、あたらしい歌と出逢ったとき、頭に浮かべるようにしています。 前衛が引き起こす第一の問題は、「これが芸術か」ということである。この疑念に対する第一の考え方は、古い基準を応用解釈によって新しい現象に適用し、「これも他と同じ芸術である」と主張することである。しかし、この応急策は早晩通用しなくなる。そのときには、芸術の概念そのものを問わざるをえなくなる。…

詩は弦楽の/(作)コンスタンチン・ヴァーギノフ、(訳)小澤裕之

詩は弦楽の夜の獄舎に あかあか燃える、思いがけない、聾の、賜物である。賢しらな自然はすべて 私から奪った銀器の如く けたたましい才能を 取りあげた。 そうして私は 塔から荒野に降下して花盛りの階段を偲びきわめて困難なバイオリンを背負い 辛うじて階段をよじ登った波濤と世界を意の儘に するために。 こうして私は若き日に 狂気を求め己が意識を光の射さぬ暗闇へ 追いやった美しい詩の花が それを故郷の土のごと 養分と するように。 1924年9月20日~10月10日 作・コンスタンチン・ヴァーギノフ1899年生まれ。詩人・小説家。1920年代に、ペトログラード(レニングラード)中の文学グループを渡り歩いた。ハルムスやヴヴェジェンスキーが所属した「オベリウ」もその一つ。詩のほか、『山羊の歌』など4作の長篇小説がある。1934年没。 小澤 裕之関東学院大学非常勤講師。専門はロシア文学。著書に『理知のむこう――ダニイル・ハルムスの手法と詩学』(未知谷、2019)、訳書に『言語機械――ハルムス選集』(未知谷、2019)。