港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった

ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』

1984年、サイバーパンクが生まれた。

未だインターネットのない旧世紀、サイバー=仮想空間とパンク=荒廃した世界を掛け合わせた『ニューロマンサー』は一つの時代を画した。その後、無数のクローンに埋め尽くされるその時代、サイバーパンクと呼ばれるSFの一ジャンルが世界の最先端だった時代。

サイバーパンクは死んだのか?

サイバーパンクは原理的に二つの要素からなる。その語「サイバーパンク」のサイバーは仮想空間を(今のインターネットと捉えてもらえれば想像しやすいだろう)、パンクは荒廃した世界観を表している。

『ニューロマンサー』は無数のクローンを生み出した。ブルース・スターリング、グレッグ・ベア、ルーディ・ラッカー、『エスケープ・ヴェロシティ』……。

その影響は日本の漫画やアニメにも波及した。代表的な作品は士郎正宗による『攻殻機動隊』(1989年)だろう。漫画『攻殻機動隊』は余白に膨大な注釈が付けながら、ネットワークや義体化、サイボーグ・アンドロイド・AIといったガジェットが頻出する。アニメ映画にもなったそれ(映画名『GHOST IN THE SHELL』(1995年))は世界中にマニアックなファンを生み出した。

1968年に刊行されたフィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作とした映画『ブレードランナー』(1982年)は仮想空間は出てこないものの、暴力的で退廃的で無国籍なその世界観はサイバーパンクに通じるものがある。人間に対し反乱を起こした4名のレプリカント(人造人間)たちを「ブレードランナー」と呼ばれる警察の専任捜査官が追う。そのブレードランナー(デッカード)自身もレプリカントではないか、などの疑惑を残しながら、物語はレプリカントとの逃避行に終わる。

90年代、インターネットの前景化とともに、サイバーパンクの先端性は薄れ、その役目を終えたように見える。

だが、1999年、突如として「それ」は現れた。

ウォシャウスキー兄弟による『マトリックス』がそれだ。

『マトリックス』については詳述する必要もないだろう。仮想空間で現実と疑わなかった世界がレッド・ピルを飲むことで、人間がカタストロフィ後の世界で機械にエネルギーを与えるだけの存在だったと知った主人公ネオは、物理世界ではあり得ないカンフー(ワイヤーアクションを大々的に用いた、エージェント・スミスの銃弾をネオがのけぞりながらよけるシーンが有名だろう)を用いて仮想空間の中で機械と闘う。

『マトリックス』は大きな波紋を呼んだ。サイバーパンクを知らない人たちがこぞって『マトリックス』を観、『マトリックス』について語りたがった。『マトリックス』を扱った論考本も多数出た。もはやサイバーパンクは一大ムーブメントとなっていた。

だが、ウィンドウズ98の登場やその後のインターネットの全面的な拡大とともに、『マトリックス』の世界観も日常的なものと化し、サイバーパンクは潰えたように思える。

事実、その後のゼロ年代やテン年代では目立ったサイバーパンク作品は出てこなかった。

サイバーパンクは再び死んだのか?

昨年公開された映画がある。『ブレードランナー2049』と『レディ・プレイヤー1』だ。

『ブレードランナー2049』は『ブレードランナー』の続編である。自らレプリカントである警察の専任捜査官「ブレードランナー」(K)が前作で生き残った反乱を起こしたレプリカントたちを追う。物語は終わっていない。ずっと続いていた。前作の主人公であるデッカードも、デッカードの恋人でありレプリカントでもあるレイチェルも、より深みを増し、深層化された世界で、ずっと生き延びていた。暴力的で退廃的で多国籍な世界観、ドローンや自動走行車などの最新のガジェットでアップデートされながら、それは「偽りの記憶を植え付けられた」主人公が愛を取り戻すまでの物語だ。いや、K=ジョーは最終的に愛を取り戻したのだろうか。少なくとも私はそう信じたい。

『レディ・プレイヤー1』は、VR(ヴァーチャル・リアリティ)が物語の核となっており、サイバーパンクと呼ぶことに抵抗があるかもしれない。だが、物語の核は「オアシス」と呼ばれるVR空間(仮想空間だ!)に、創始者であるジェームズ・ハリデー亡き後、5000億ドルの懸賞金を求め、彼の作った「イースターエッグ」を探すプレイヤー=アバターたちが日夜暴れている、という非常にサイバーパンク的といえる作品となっている。この作品は様々な過去の作品へのオマージュからも成り立っている(ちなみに筆者が好きなのは、主人公の仲間であり日本人であるダイトウの「俺はガンダムで行く」という台詞と覚悟である)。

冒頭の質問に戻ろう。

「サイバーパンクは死んだのか?」

それに対して私はこう答えよう。「否」と。

2018年に公開された『ブレードランナー2049』と『レディ・プレイヤー1』がそれを証明している。

サイバーパンクは未だ死んでいない。AIや自動走行車、ドローンや仮想通貨などの最新のテクノロジーが溢れる現代にあって、それはまだ想像力の源泉、イマージュを想起させるものとなっている。

Cyberpunk’s not dead(サイバーパンクは死んじゃいないぜ)。